Sunday, March 27, 2011

裁判員制度は本当に役立つかな?

裁判員制度はいい点もあるけど、外面的だと思う。裁判員制度の提案者は一般人の参加もあるから、その裁判の結果や量刑はもっと公平になることを指摘する。つまり、その判決は政府の代表だけに判断された制度じゃないし色々な立場からの人たちの意見を含むから以前の制度より公平だとされている。一応考えたらそうと思う。しかし、深い意義がある。

その裁判員制度は最低のレベルの裁判だけに行う。つまり、その裁判員は良識でそのケースを見直してから被告に死刑を言い渡しても被告が裁判員が一人もない高裁に訴えられるからそれは裁判員制度の無効さの一つだ。だから、裁判員の参加は現在の制度にちょっともったいない。被告の有罪さを決めても、高裁か最高裁は裁判員の判決が覆せるからなんて無駄だ。しかも、素人しかないから本当に適切な量刑が下せるかな?


ケースによるけど裁判員も結果が耐えられないかもしれない。刑事事件の裁判で死刑の量刑も可能なのでその思い負担を感じずに判断できるだろうか?量刑でも他の人の死の原因は自分だと思っていたらきっと傷つけるだろうね。その代わりに民事事件のケースは全然違うから問題ないと思う。


挙句、アメリカ人にとって裁判員の役割を果たすのは面倒くさい義務だとされている。なぜかというと日常生活が急に乱されるからだ。仕事にいけないし予定も変えなくてはいけないし本当に面倒だ。


やっぱり、裁判員制度はあまり役に立たないことだ。

生活は一期一会だな~

暇な時とか何かに待っている時とかよくぶらりと今までの人生のことについて考える。そうすると時々いい思い出も不意に思い浮かぶ。例えば、大学一年生としてはじめて寮に住む時とか初めてのキスされた時とか日本で暮らす時とか初めて自転車に乗れる時とか最初の親友と一緒に楽しく過ごした時の思い出は普通だ。

「この時に戻られたらいいなあ」とか「もう一回これを経験できればいいなあ」とはよく思う。でも、できない。やっぱりできない。全然できない。不可能だ。だから、できるだけ経験の間に大切にしないとはいけない。それは一期一会だ。

実は本当の一期一会の四字熟語はもっと短い期間のことを描写する。例えば、流れ星も一期一会だ。そのきらきらと輝いて落ちていく星は瞬間だけに存在する。ずっとずっと楽しめない。きっとすぐ消えるからずっと見えない。

人間の人生には色々な経験がある。日常の経験もあるし特別な経験もある。でも、その両表をちゃんと大切にしなくては行かないと思う。東北地震に影響された日本人にとって地震の前の日は普通で日常だったけどその翌日その日常生活は思い出しかならなかった。だから、日に日に大切にしろよ!

Sunday, March 20, 2011

さすが、日本人・・・

先週の東北地震はそんなに悪かったのに・・・

日本人はまだ生きづつけている。

そんなに恐ろしかったのに・・・

まだできるだけ生活をしている。

さすがに日本人だよね。

2005年ハリケーン・カトリーナの影響されたアメリカ人とか2010年のハイチ地震に影響されたハイチ人に比べると日本人はずいぶんおとなしい。なぜかというと略奪の事件は一度もニューズに報告されなかったからだ。多分、それは全然ないと言えないけどNHKとCNNニューズにあまり聞かないから略奪する頻度は間違えなくアメリカの事件とハイチの事件より低い。


しかも、世界最大五番目の地震以外に東北の町は日本の最大の津波にも倒されたし原発問題もあったし・・・その生き残りの日本人たちは本当に我慢できるのかなあと思っていたけど去年の夏に広島に行った時の思い出を思い浮かんだ。その時広島の人たちの強さがすぐ分かった。55年前に世界の最悪の爆弾が爆発されたのに・・・大勢の人たちがなくなったのに・・・その町も崩されたのに・・・生き残りの人たちはもう一回広島市を建て直した。JR広島駅から出るとその悲劇が起こったことを全然感じていなかった。だから、東北地域が建て直して元に戻すことは疑わない。


日本のために祈ろう!